伊豆諸島創生神話

上古の時代、大国主命(出雲大社)の長子、八重事代主命(三島大社)は、「国土を天孫」ニニギノ命(天照大御神の孫)に譲り、出雲の国から多数の一族、追従の神々を率いて海路はるばる伊豆の国に渡られて、伊豆の島々を焼き出し給う。

島造りの大事業が行われたと伝えられている。

三島大明神は富士山の大明神に会って、伊豆半島の南東の土地を譲っていただいたが、土地が狭かったので島造り(島焼き)を始めました。

最初に一日一晩で小さな島を造り、初めての島なので「初島」と名付けました。

第二を島々の中ほどに焼きだし「神集島」(神津島)と名付け給えり。

第三の島をば大いなる故大島と名付け、第四の島は海の塩を盛ってつくり給えば色の白き故に「新島」と名付け

第五の島はお供の見目、若宮、剣の御子の家をつくる「三宅島」

第六の島は大明神の蔵を置くための「御蔵島」

第七の島ははるか沖にありて沖の島「八丈島」と名付け

第十の島をば十島「利島」と名付け給う

【事代主神】

事代主神.jpeg

【文献・資料提供】 

中村親夫さん

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このページは、産業観光課が2021年5月16日 11:23に書いたブログ記事です。

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